2010-10-31

暴行か教育か

発達障害に関する視点を取り入れて少年院での指導にあたり、高い指導効果を得ていたことで有名な向井氏の逮捕はとても驚きでした。事件の本当のところは個人の私には知ることはできませんが、先週(2010.11.1)のAERAには事件に対する疑問点がたくさん書かれていました。

新聞等でたびたび紹介されていた残虐行為として「シーツを首にかけて絞めた」という行為がありますが、被告側の主張では「シーツを私自身の首にかけて少年に絞めさせようとしたができなかったので、次に私の首から外して少年の首にかけて自分の首でも絞められないだろうと言った」だそうです。むしろ、胸が熱くなるような指導者らしい指導だと私は感じました。

被疑者ノートの一部も紹介されています。取り調べ時、「理論なんか役に立たない、発達の視点なんかやってもらったら検察は困る」と言われたそうです。抜き出された文章では判断できませんので、前後関係を含めて、実際のやりとりを聞いてみたいものです。やはり、可視化してほしいですよね。

他にも、多くの矛盾点が紹介されています。個人の立場ではあまり書けないので、詳しいことはぜひAERAを読んで欲しいと思います。iPhone あるいは iPad を所有しているかたは、ビューンで読むこともできます。

結審は8月23日にされていて、判決は明日11月1日に言い渡されます。

※ 記事は教育ジャーナリストの品川裕香さんが書いています。


2010-09-20

ベトナム旅行の写真

これから人気の出そうなハロン湾を中心に写真を撮ってみました。
ハロン湾は世界遺産にもなっていて、桂林の海版というような感じのところです。
(桂林には行ったことがないけれど)

ベトナム旅行

私たちは、このハロン湾で船上一泊というツアーを利用しました。
とにかくのんびりとするのが目的だったのですが、実際に参加してみると、次から次へとアクティビティが用意されていて、結果的には全然休めなかったのですが、まぁ、それはそれで楽しかったです。

ベトナムの交通を見ていて考えた事

先日、初めてベトナムに観光で行ってきました。旅行記を書くほど真面目に情報を集めていないので、とりあえず感想だけ書き残しておこうと思います。

一番驚いたのは、バイクや車が縦に横に無秩序に動いているように見えるのに、事故など起きずちゃんと交通が機能していることです。鳴り響くクラクション、少しでも隙間があれば割り込もうとするし、前方からバイクや車が来ようが関係なく右折左折をする。逆走だって当たり前。当然の事ながら、クラクションの嵐です。(信号はそもそも少ないのですが、あるところでは比較的良く守っています。)

これじゃ事故も多いだろうし非効率的な交通網になっているだろうと思いました。運転には相当の訓練と慣れが必要で、少なくとも状況を見て理解して運転するような感じでは運転は無理でしょう。無意識下で直感的に判断できるくらいの運転技術の習得が必要なはずです。ところが、実際には若い女性もおじいさんもおばあさんも平然と運転しています。

一つ気が付いたことがあります。クラクションにはタイミングと種類によって細かな鳴らし分があるのです。「完全に無理な割り込みだから止めてよ」的なものから、「まぁ、危ないから気をつけてね」、あるいは「今から、前に入るよ。」あるいは「ありがとね」のように、いくつかの種類があります。また、程度も細かくて、危なさも5段階くらいで評価してフィードバックしているように感じられるのです。

なるほど、これは人間の運動神経系に似ていると思いました。働きかけに対して、細かなフィードバック、それも直感的で極めてレスポンスの良いフィードバックがあるので、誰もが無秩序に見える中でも運転が出来るようになるのです。義手でも、細かなフィードバックを可能にすることで、自然な操作を可能にする研究例がありますが、さまにそれだと思いました。

ちなみに、こういうバイクや車の流れを突っ切って横断するのは意外に可能です。信頼して、堂々と手を振って進めば、気が付いた一台が、クラクションをならしつつも回りに影響を与えつつ、すべてのバイクや車が横断者に配慮するようになります。むしろ、途中で止まったり、小走りになると、運転者は動きを予測することが直感的に出来なくなるので圧倒的に危険です。

ベトナムの交通網は、全体で一つの生き物のように機能しているものなのです。


とはいえ、
事故は見ました。
(バイクがこけておりました)

やっぱり完全な秩序の中で交通が行われるよりは危険なのです。
早くインフラが整備され、一切の事故が起きなくなるようになりますように。
そう願っています。

2010-05-09

計るだけダイエット、すばらしい!

昨年、メタボ検診にひっかかり、今年の2月25日から「計るだけダイエット」を実施しています。68.5kgあった体重はその直後から着実に右肩下がりで減り続け、5月8日には62kgになりました。61kg台もすぐに達成できそうです。三段腹寸前のお腹も、いまや筋肉割れも夢ではなさそうであり、筋トレもしてみようかと思っているくらいです。(まぁ、そんなにうまくいかないと思うけれど)

※ 6月16日現在の状況を追加しておきます。60kgを切りました。縦軸のスケールが違うので比較にしくいですが、まだ、減少は続いています。一人でも多く、私もやってみよと思っていただけますように。

実行しているのは基本的には本当に計るだけのダイエットです。NHKで紹介されたこのダイエット法では、朝と夜に体重を計り記録しますが、私は夜の一番重いときだけに測定し記録しています。それ以外には、通勤時に余計にあるく事、平日はなるべく飲まない事、食べ過ぎないことを注意しています。大切なのは何より計ることで、計ることさえちゃんとやっていれば、後の項目は無理しなくとも自然に守れるようになるのが面白いところです。

理由を少しだけ脳科学的に説明してみようかと思います。まず、どんながんばりも、それが辛いと思えば長続きしません。反対に、適当な喜びを与えてやると、それが身につきます。つまり、行為に対して報酬を与えることで、脳にその取り組みの意味を覚え込ませるわけです。と、これは誰でも容易に想像が付くと思います。実はポイントはもう一つあるのです。

それは、行為に対する報酬をはっきりとひもづけることです。それが毎朝・毎夜に計るという行為なわけです。実際、ウォーキングをした日は体重が減りますし、食べ過ぎれば増えます。当たり前と言えば当たり前なのですが、それがちゃんと数値に出てくることを短い間隔で見て確認するとき、小さいながらもしっかりとした喜びを脳が感じ取ることができます。さらに、この短い間隔というのがキーで、私の想像では、脳の海馬に記憶が残っている間に報酬を得られることで、それがしっかりとした長期記憶に刻み込まれるのだと理解しています。

体重がなかなか減らないこともあります。しかし、がまんしていれば、だいたい三日目には成果がでてきます。これも、計るという行為を続けているからこそ実感できるわけです。反対に、今飲んだ炭酸飲料やおやつの類があとあとどういう結果をもたらすかということも想像できるようになったので、自然と控えるようになりました。ここに、「やらないといけない」とか「つらい」とかいう気持ちはほとんどありません。あるのは、「こうすれば、また、喜びが得られる」という前向きな気持ちだけです。

自分自身の話に戻って、体調に対する効果も大きいようです。もともと重度の無呼吸症候群と診断されている私ですが、64kgを切ったある日を境に、日中のひどい眠気から解放されるようになりました。目覚めもとても良いです。さらに、これは予想していなかったのですが、むずむず脚症候群も、薬1錠では効かなくなって困っていたのですが、1錠でも十分に効いてくれるようになりました。

なお、リバウンドに対する不安はありません。なぜなら、もし、リバウンドしても、また、計るだけダイエットをすれば良いと思えるからです。

もし、ダイエットでお悩みの方がいらっしゃれば、ぜひ、計るだけダイエットに挑戦してみてください。きっと、誰でも簡単に実施できます。以下、関係する情報を掲載しておきます。

最初にNHKが紹介した内容のもの。
ガッテン流「計るだけダイエット」

女性の場合はこちらも必見。
挫折なし!失敗なし!女性の最強ダイエット

「計るだけダイエット」の元NHKプロデューサーが執筆した本。
死なないぞダイエット
とてもお勧めです。続けていられるのは、妻から渡された、この本を読んだお陰もあるかもしれません。何のためにダイエットをするのか、とても大切な気づきが得られたからです。

2010-04-04

3D映像とアクセシビリティ - Stereoblindness -

先日、川崎のIMAXシアターでアバターを見てきました。実に自然な3D映像で、違和感もほとんどなく、最後の方では3Dで見ていることを忘れているくらいでした。それだけに、3D体験が困難な stereoblindness の方に対するアクセシビリティについて気になりました。任天堂のゲーム機でも3D表示が可能になるようですし、こうした技法は教材にも使われるようになる可能性がありますから、少し注目しておく必要があると思いました。

さっそく調べてみると、実に多くの研究がありました。私も勉強中で細かなことを書く自信が無いので、ぜひ、皆さん自身で stereoblindness をキーワードにして検索してみると良いと思います。accessibility というキーワードも含めても良いと思います。最近の研究ではfMRI を使って、脳科学の観点から根本的な原因の追及に取り組もうとしている人達もいるようです。日本でも産総研が映像酔いなどの観点から研究を進めているようですね。

特に関心があるのは、両眼視が可能でも3D体験を得られない人が結構多いらしいことです。全盲の方の場合はそもそも映像による情報を得ることは困難なので、音声化するなどの代替情報の提供の仕方が良く知られています。しかし、両眼視が可能な人にとっては、音声化は冗長すぎるでしようし、であれば、どんな代替情報の提供が適切なのか、少し議論しておく必要がありそうです。

実際、アバターのエンドロールがとても気になりました。沢山の関係者の名前が出てきますが、たぶん、リーダー的立場の人はほんの少し手前に表示されているようです。(もしかしたら、私の勘違いかもしれません) そうした時、同時に少し文字を太くする等の工夫が加えられていました。別に工夫というわけではなく、単純にそうしただけかもしれませんが、こうした小さなテクニックを理解しておく必要があると思いました。

具体的に問題になりそうな事を少し書いてみます。例えばウェブの操作を仮定すると、「手前のボタンをクリックしてください。」とか、「前方に動いている車をクリックしてください。」というような表現でしょうか。あるいは、少し高度ですが、フォーカス(ピントの合っているところ)を画面中の奥のところにある物から、手前の物に移動するような視覚的効果を提供しようとする場合、stereoblindness の人は、クリエイターの意図を正しく知ることは難しいかもしれません。(アバターの中で、そういうシーンが実際にありました。私はとても面白いと思ったのですが、stereoblindness の人にはつまらないだろうなぁと感じました。)

勉強中故、中途半端な内容でごめんさない。
ともかく、皆さんも、こんな事を考えながら3D体験をしてみるのは悪くはないと思います。


ところで、私は見終わったあと、距離感がうまくとれない感覚がしばらく続き、1〜2時間くらいは、ふらつきながら歩いてしまいました。これは、映画の中の縮尺と現実の縮尺が異なるのが理由ではないかと想像していますが、本当の理由は良くわかりません。車など運転される方は、少し注意が必要かもしれません。でも、きっと、何度か映画を見れば、慣れてしまうような気はします。

もう一つ、お恥ずかしい話ですが、崖っぷちに立たされているような場面では交感神経が刺激されるのか、とてもトイレに行きたくなりました。実際、上映中にトイレに行くお客さんがとても多いように思いました。(長い映画だったからかもしれません) こんな事を書くと気にする人がいるかもしれないので躊躇したのですが、こういうケースの場合、映画が終わるとトイレに行きたい気持ちも元に戻るようです。つまり、我慢可能なタイプのものだと思って良いのではないでしょうか。

2010-03-06

まりもっこりと母の声

まぁ、ばかなビデオです。こんなのアップしてごめんなさい。妻が写真を撮るつもりで、間違えてビデオ撮影したものですが、母の声が入っていて、なんとなく捨てられなくなりました。修学旅行生の視線はちょっと辛かったかな。後ろで流れている「まりもっこり」の歌が良い照れ隠しになっていたかもしれません。

昨年12月のブログに書きましたが、このビデオは、妻、母と小樽に遊びに行った時のものです。いつもはお正月に帰省していますが、昨年末は仕事の関係で12月の初めに少しだけ帰省しました。まだ食材なんかも安い時期ですから海産物など大いに愉しむことが出来ました。大通公園のライトアップも人が少なくて良かったですよ。来年もそうしたいな。

その代わり、大晦日には帰りませんでした。紅白を見ながら母に電話したとき、母の様子はやっぱり寂しそうでした。なんとなく胸が締め付けられました。せめてもと思い何度か電話とメールをし、このビデオの一部も写真にして送っておきました。きっと、それなりに思い出になってくれたと思います。

そういえば、うちには、もう、35年以上前の父の声が入ったテープがあります。とっくに他界している父のその貴重な声は、ほとんど父の記憶の無い弟にはとても大切なものです。もっとも、私も、だんだんと忘れているような気がします。だから、この母の声は捨てられないのです。

(他人様がご覧になっていただくようなビデオではございません・・・)
(iPhoneからはうまく再生できません。どなたか、原因の分かるからがいらっしゃいましたら教えてください。)






link

2010-02-21

ユニバーサルデザインのちから

関根さんには、いつも献本をしていただいている。なのに、一度もちゃんとしたお礼をしたことがなく、とても気にしている。お礼は、ちゃんとした感想を添えてと決めているのだが、読書感想文には泣かされた方なので、なかなか書けない。というような言い訳はこれくらいにして、書ける範囲で感想など書かせていただきます。

ユニバーサルデザインのちから / 関根千佳

前半は関根さんならではの、ストーリー仕立てでユニバーサルデザインを説明していくもの。後半は、ご自身の思いも添えて、さらに深く説明していく。前半の物語部分で登場するのは、新人社員の柚衣(ゆい)さん。柚衣さんは、会社や社会でのいろいろな出来ごとから、ユニバーサルデザインに気づき、考え、大切さを学んでいく。サブタイトルに「社会人のためのUD入門」とあるように、社会の中で何らかの活動をしている全ての人たちに、ユニバーサルデザインを知ってほしいと願って書いた本なんだと思う。とても易しく、一つ一つ事例を紹介しながら説明している。ところどころに挟んでいる解説もわかりやすい。きっと、読んだ人は誰でも、ユニバーサルデザインについて、新人さんのような気持ちで取り組んでみたくなるはずだ。

後半はユニバーサルデザインの入門書として、知っておくべき考え方、キーワード、人々とその活動、標準、法律などがまとめられている。私自身、知らないキーワードがいくつもあって、とても勉強になった。たぶん、何かの論文など書くときは再び参照させていただくと思います。(助かります。)


関根さんには、本の中で紹介されているSNSセンターや、それ以前の社内での同好会でずいぶんお世話になった。関根さんが会社を辞める少し前くらいから、ユニバーサルデザインについても何度か議論をした。「ユニバーサルデザインなんて不可能だ。」「アクセシビリティには役に立たない。」というような意見もその頃にはあって、「そんなことは無いよね」というような話で盛り上がったのを覚えている。もう、その頃には、関根さんのユニバーサルデザインに対する基礎は固まっていたんだと思う。

京都だったと思うけど、UDITという会社名を考えていると初めて聞いた時、すぐに "You, Do IT" なんだと思った。(ジャニーズみたい) この本を読んだ人にも、そう問いかけているような気がする。



小樽にて 
Posted by Picasa

2010-02-06

アクセシブルな電子教材が世界を制す?

アクセシブルな電子教科書や教材を提供できるようになった出版社は、ワールドワイドに活躍する出版会社になるチャンスを持っていると思う。紙の世界の時は、翻訳して、レイアウトを調整して、場合によってはデザインもその国にあわせて製本するという作業が必要で、よほどの売れ筋でないと各国翻訳版なんて出せなかったと思う。けれど、アクセシブルな電子教材であれば、場合によっては何もいじらずに、オリジナルの言語のままで流通させても、買ってくれる学校、先生・生徒は出てくると思う。もちろん、翻訳すればなお流通のチャンスは増す。今の iPhone アプリの感覚だ。

アクセシブルであるということはとても大切。単に電子化するだけの意識だと、本のカバーにイメージとして表示されたタイトルすら翻訳できないような状態が続く可能性がある。正しくアクセシブルであれば、再生する機器はそのイメージが何であるかは取得できるから、必要な言語に翻訳可能だ。イメージはその国の言語のままでも、必要な言語で内容を表示したり、発声させたりすることが出来るようになる。アクセシブルであるというのは、マシン(コンピューターなど)からもアクセシブルであることを意味するんだから。

iPad や Kindle がその世界を切り開こうとしている。日本の出版社はいろいろと問題を抱えているようだけど、早く解決してワールドワイドに共通な土台にのっていかないと、わりと早い段階で業界から締め出されてしまわないかと心配している。大学で使う専門書なんかは、(担当教官執筆の教科書でないかぎり) MITなんかで使われる専門書と時間の遅れなく同じものを採用するようにななるんじゃないかな。

もっとも、iPad や Kindle にも、アクセシブルになったコンテンツを十分に生してブラウジングする機能が必要になる。ブラウジングの雰囲気としては、twitter 仲間の r_puputa さんに、こんなのを教えてもらった。



これは、私のイメージするものに近い。メモに関する機能はまさにこんな感じを期待しているし、この延長で翻訳機能も提供してほしいと思ったりする。さらに、ソーシャルネットワークの助けを借りて疑問点を解決したり、理解を深めたり、そんな機能も期待している。

ともかく、日本の教科書会社も世界を睨んで電子教科書のアクセシブル化に取り組んで欲しいし、機器の方も、多くの期待に応えるように進化してほしい。

2010-01-30

iPad に見る電子教科書の未来

(いつもの雰囲気と少し変えまして・・・読みにくいかも。)

iPad でなくともいいんだけど、e-Book Reader にはとても期待している。きっと、教科書というものの概念を大きく変えることになると思うんだ。少し考えただけでもワクワクする。世界の人たちが考えはじめると、とんでもないものが生まれるような気がする。今回の iPad は、それを少し確信させてくれたから、ほんと、ワクワクしている。

電子教科書といっても、単純に教科書をデジタル化したものを期待している訳じゃないよ。それは、もう、Kindleが実現しているし、それだったら紙で置き換え可能だもの。インターネットが見られるからじゃないよ、そんなのは携帯でも可能だもの。メモがとれる、動画が見られる、辞書がひける、確かにいろんな事が一つのデバイスの上で可能になるけれど、そういうことじゃないんだ。私が期待しているのは、大げさに書けば人が知恵を伝承していくテクニックそのものが大きく変化するような気がするんだ。きっと、教室、いや学校も変えてしまう。

少なくとも、教科書というコンテンツは、どんどんエンターテイメント化するのは間違いないよね。先生が動画で話しかけ、3D空間で疑似体験し、世界中の人と議論ができる。ともかく、先生が伝えたいことが、それにもっとも適した方法で提供されるようになると思う。これだけでも楽しみだけど、期待しているのはさらにその先。教科書なんだから、理解や記憶を支援する仕組みが必要。ポストイット、辞書、鉛筆、消しゴム、補助教材、友達、先生等々、学習するということにおいて必要なとる要素のすべてが大きく変化していくと思うんだ。たとえば、電子ポストイットというのがあったとすれは、それは、張った瞬間に学習を支援する10,000ものアクションが発生するようになると思う。

ひとつ言えるのは、何かを覚えたい、習得したいと思ったときに脳の中で起きていること、それに近い事が代替されるようになると想像すれば、電子教科書で何が可能かを誰よりも早く具現化できるかもしれない。そんなふうに思う。

もう一つ書かないといけないことがある。それは、電子教科書のアクセシビリティ。
電子教科書のアクセシビリティを音声化だけで済むと思ってると、あっという間に新しいアクセシビリティの問題が山のように生まれてくる予感がする。絶対に気が抜けない。少し先の未来を想像しながら、アクセシビリティの問題が生まれないように、しっかりとこれからの進化の過程を見る必要があると思う。

2010-01-07

人工衛星を見る

人工衛星は比較的よく見ることができます。いっぱしに天体観測なんかが好きな小学生でしたので、そのことは専門誌なんかを読んで良く知っていました。当時、札幌の空は暗く、天の川も見えたくらいですから、三晩も見ていれば、必ず観測することもできました。

人工衛星は回転しているので急に明るくなったりすることもあります。特に日没直後はびっくりするくらい明るくなることもあります。そんな時は、急に減速したようにも感じられて、UFO大好き少年だった私は、ついに遭遇かと、ドキドキしながら観測したものです。直角に曲がれ!とか、分裂しろ!なんて念じながら・・・あはは。

今は子供の頃の夢だった宇宙ステーションが、そう、「きぼう」が空を飛んでいます。巨大なので、適当に見上げていれば、いつかは遭遇するだろうと思っていたのですが、なかなか見かけません。案外低いところを飛んでいるので、見えるのは本当に日没か夜明け前の短い時間のようで、その頃は仕事をしている大人たちには見つけられにくいのかもしれません。

でも、つい先日、やっと観測することができました。iPhone片手にtwitter経由で飛行するルートと時間を確認し、少し早起きをして待ちました。少し白み始めた空に、私が観測したどの人工衛星よりも早い速度で、かつ、明るく、それは飛んでいきました。久々の感動でした。子供の頃の事もたくさん思い出しましたよ。


観測してみたい方は、次の twitterをフォローするとタイムリーな情報が得られます。少し長めのデジカメがあれば、ソーラーパネルの形もわかるくらいの写真も撮れるはずです。ぜひ、挑戦してみては?

 twitter アカウント: @isstterさん

 HPの場合は ToriSat - 国際宇宙ステーションを見よう -
 Google カレンダー版のスケジュールも提供されています。