先日、川崎のIMAXシアターでアバターを見てきました。実に自然な3D映像で、違和感もほとんどなく、最後の方では3Dで見ていることを忘れているくらいでした。それだけに、3D体験が困難な stereoblindness の方に対するアクセシビリティについて気になりました。任天堂のゲーム機でも3D表示が可能になるようですし、こうした技法は教材にも使われるようになる可能性がありますから、少し注目しておく必要があると思いました。
さっそく調べてみると、実に多くの研究がありました。私も勉強中で細かなことを書く自信が無いので、ぜひ、皆さん自身で stereoblindness をキーワードにして検索してみると良いと思います。accessibility というキーワードも含めても良いと思います。最近の研究ではfMRI を使って、脳科学の観点から根本的な原因の追及に取り組もうとしている人達もいるようです。日本でも産総研が映像酔いなどの観点から研究を進めているようですね。
特に関心があるのは、両眼視が可能でも3D体験を得られない人が結構多いらしいことです。全盲の方の場合はそもそも映像による情報を得ることは困難なので、音声化するなどの代替情報の提供の仕方が良く知られています。しかし、両眼視が可能な人にとっては、音声化は冗長すぎるでしようし、であれば、どんな代替情報の提供が適切なのか、少し議論しておく必要がありそうです。
実際、アバターのエンドロールがとても気になりました。沢山の関係者の名前が出てきますが、たぶん、リーダー的立場の人はほんの少し手前に表示されているようです。(もしかしたら、私の勘違いかもしれません) そうした時、同時に少し文字を太くする等の工夫が加えられていました。別に工夫というわけではなく、単純にそうしただけかもしれませんが、こうした小さなテクニックを理解しておく必要があると思いました。
具体的に問題になりそうな事を少し書いてみます。例えばウェブの操作を仮定すると、「手前のボタンをクリックしてください。」とか、「前方に動いている車をクリックしてください。」というような表現でしょうか。あるいは、少し高度ですが、フォーカス(ピントの合っているところ)を画面中の奥のところにある物から、手前の物に移動するような視覚的効果を提供しようとする場合、stereoblindness の人は、クリエイターの意図を正しく知ることは難しいかもしれません。(アバターの中で、そういうシーンが実際にありました。私はとても面白いと思ったのですが、stereoblindness の人にはつまらないだろうなぁと感じました。)
勉強中故、中途半端な内容でごめんさない。
ともかく、皆さんも、こんな事を考えながら3D体験をしてみるのは悪くはないと思います。
ところで、私は見終わったあと、距離感がうまくとれない感覚がしばらく続き、1〜2時間くらいは、ふらつきながら歩いてしまいました。これは、映画の中の縮尺と現実の縮尺が異なるのが理由ではないかと想像していますが、本当の理由は良くわかりません。車など運転される方は、少し注意が必要かもしれません。でも、きっと、何度か映画を見れば、慣れてしまうような気はします。
もう一つ、お恥ずかしい話ですが、崖っぷちに立たされているような場面では交感神経が刺激されるのか、とてもトイレに行きたくなりました。実際、上映中にトイレに行くお客さんがとても多いように思いました。(長い映画だったからかもしれません) こんな事を書くと気にする人がいるかもしれないので躊躇したのですが、こういうケースの場合、映画が終わるとトイレに行きたい気持ちも元に戻るようです。つまり、我慢可能なタイプのものだと思って良いのではないでしょうか。
2 件のコメント:
3DもVRと同様に「酔い」があるのだと思います。
てんさんが経験したように、映画の3Dも現実の立体視とは当然違うのであり、その違いがどうしても「酔い」を生みだしてしまうんだと思いますね。
薪割人さん、コメントありがとうございます。
アバターは何か目の前に飛び出したりといったお遊びが無いのが何よりでした。そんなのがあったら、もっと酷かったかもしれないと思います。
コメントを投稿