2012-08-05

Amazonプライム会員で年会費を引かれても、一度も使っていなければキャンセル可能


クレジット明細を見ると「Amazonプライム会員」に登録され、年会費3,900円が引かれていた。確かに、以前、書籍の購入時に「一ヶ月無料期間を試す」という部分にチェックを入れた記憶はある。しかし、会員の本登録までした記憶はない。

そこで確認してみると、どうやら「一ヶ月無料期間」で会員登録をする際に、「無料期間」を過ぎた場合に勝手に会員登録をしない為のチェックボックスがあったらしい。それにチェックしておかないと、自動的に本会員となり、一月後には引き落としが発生する仕組みだったようだ。気が付かなかった私が悪い、と妻。そうかもしれない・・・

幸い、本会員になった後でも、一度もこのサービスを利用していなければ、返金してもらえると書いてあった。そこで、さっそく脱会処理をすると、返金がある旨のメールが届いた。よほど、私のように不満に思う人が多いのだろう。

このやり方は良くないと思う。自動継続ならばよほどわかりやすく説明しておかないと、私のようなミスをする人は多く出てくるだろう。そもそもAmazonは次の利用機会に、「無償登録期間を過ぎています。今回利用すると利用料金が発生します。」と聞いて、そのタイミングで請求すれば良いのではないか。


視点を変えて、ビジネスという観点からこのやり方について考えてみた。結論としては、利用頻度に合わせて制御を変えれば良いだと思った。利用頻度が低く、Amazonプライム会員の恩恵が受けられないような人には、そもそも積極的に進める必要はない。あの鬱陶しいメッセージに印象を悪くし、年額使用料で儲けようとしていると思われてしまうだけだ。しかし、利用頻度が高い人には、そのメリットはあるはずだから、ならば、それを具体的なコストと共に提示すると良いと思う。きっと、利用者は増えるのではないか。


さらに調べてみると、これは随分と古い問題のようですね。同様の指摘をしているブログなど、4年くらい前からちらほらと見つけることができます。ということは、皆さんには良く知られていたことで、こんなことを今更書いている私は時代遅れか・・・

2012-06-01

他人の気持ちを推し量れないという定義はおかしいのではないか


アスペルガー症候群の人達は他人の気持ちを推し量れないと簡単に定義して書いてあるのをよく見るけれど、違和感を感じませんか?

私の知っている人は皆情緒豊かで、泣くし、笑う。確かに、ちょっとした仕草や言動から気持ちが伝わりにくいことはあるかもしれないけれど、それは、そう診断されていない大多数の人には、たまたま暗黙に育てた共通の言葉があって、それを駆使しているからじゃないだろうか。聴覚障害の人には音声言語ではコミュニケーションしにくいように、アスペルガーの人には仕草や言動からは伝わりにくいだけじゃないだろうか。

実際、顔認識がうまくできないとか、脳レベルでわかってきていることがある。そうした子供の場合は、他の方法で相手を知る努力をするわけだけれど、その良い方法を教えてくれる人が回りにいなければ、その子はコミュニケーションが苦手な子として育つことになってしまう。そう、今のアスペルガー症候群の定義は、二次的な障害を言っているだけなんじゃないだろうか。

きっと、アスペルガーの人ならではのコミュニケーション方法があって、それを使いこなせれば、他人の気持ちを推し量れないとか、そんなことはないんじゃないかと思う。この先、アスペルガーの人であってもコミュニケーションしやすい方法がもっと普通に研究されて、広まっていくと期待する。それには、大多数のコミュニケーション方法に頼っている人達からの歩み寄りも必要になると思う。手話を覚えたり、筆談でコミュニケーションを取ろうとするように。

やっぱり、他人の気持ちを推し量れないという定義は正確でないと思う。

2012-02-12

一方的に責められ撤回されたGKB47

GKB47の一方的な騒動には違和感が残っています。言葉は確かに不適切だったと私も思います。本当に軽いのりで、あるいは商業的な思惑を持つ人達の影響を受けていた、だとしたら許せません。しかし、この言葉には深い覚悟を持って自殺問題に取り組んでいる経験豊かな方達の、自殺する人の側に立った純粋な気持ちもあるような気がします。本当のところどうなのかは私には分かりませんが、あまりに一方的に議論は進みGKB47は撤回されてしまったように思います。

委員会では、GKB47と最終決定する際にも反対意見はあったようです。おそらく、これを発表したときの批判も予想は出来ていたでしょう。ところが、最初の小さな反対意見は大きくひろがり、自殺対策に取り組む民間団体からは強い抗議を受け、国会の場でもとりあげられて、反論の機会などほとんど与えられずにこの言葉は撤回させられました。擁護意見は皆無に等しい状況で、何の議論も行われませんでした。 

私は怖かった。私には社会性が無いのかもしれませんが、こうした言葉を許す、あるいはもう少し度量を持って議論できる社会でないと、自殺対策なんてうまくいかないように思います。もっと言えば、言葉を責め、人を責めるこの状況と、自殺者を生み出す社会背景は、どことなく似ているような気さえしました。

沢山の意見の中に「遺族が聞いたらどう思うか」とありました。
答えてみたいと思います。
 「確かに不適切さを大いに感じる言葉ではあったけれど、作ったのは同じくなんとかしたいと願い活動している人達なのだから、失敗であればそれを優しく包み、諭し、次にチャンスを少しで良いので与えて欲しかった。議論もなく徹底的に否定し責め続ける社会は恐ろしく、そんな社会では自殺は止められないと思います。」 


※自殺する人の事を深く考え、誠心誠意取り組んでいる全国の民間団体、あるいは個人がこんなにも沢山ある事を知った当事者の中には、大いに勇気づけられた人も沢山いると思います。抗議の活動を否定するつもりはまったくありません。正しい抗議活動をしていると思います。政府の幕引きの仕方、世の中の意見形成のされ方に疑問を感じて書いているものです。