2012-02-12

一方的に責められ撤回されたGKB47

GKB47の一方的な騒動には違和感が残っています。言葉は確かに不適切だったと私も思います。本当に軽いのりで、あるいは商業的な思惑を持つ人達の影響を受けていた、だとしたら許せません。しかし、この言葉には深い覚悟を持って自殺問題に取り組んでいる経験豊かな方達の、自殺する人の側に立った純粋な気持ちもあるような気がします。本当のところどうなのかは私には分かりませんが、あまりに一方的に議論は進みGKB47は撤回されてしまったように思います。

委員会では、GKB47と最終決定する際にも反対意見はあったようです。おそらく、これを発表したときの批判も予想は出来ていたでしょう。ところが、最初の小さな反対意見は大きくひろがり、自殺対策に取り組む民間団体からは強い抗議を受け、国会の場でもとりあげられて、反論の機会などほとんど与えられずにこの言葉は撤回させられました。擁護意見は皆無に等しい状況で、何の議論も行われませんでした。 

私は怖かった。私には社会性が無いのかもしれませんが、こうした言葉を許す、あるいはもう少し度量を持って議論できる社会でないと、自殺対策なんてうまくいかないように思います。もっと言えば、言葉を責め、人を責めるこの状況と、自殺者を生み出す社会背景は、どことなく似ているような気さえしました。

沢山の意見の中に「遺族が聞いたらどう思うか」とありました。
答えてみたいと思います。
 「確かに不適切さを大いに感じる言葉ではあったけれど、作ったのは同じくなんとかしたいと願い活動している人達なのだから、失敗であればそれを優しく包み、諭し、次にチャンスを少しで良いので与えて欲しかった。議論もなく徹底的に否定し責め続ける社会は恐ろしく、そんな社会では自殺は止められないと思います。」 


※自殺する人の事を深く考え、誠心誠意取り組んでいる全国の民間団体、あるいは個人がこんなにも沢山ある事を知った当事者の中には、大いに勇気づけられた人も沢山いると思います。抗議の活動を否定するつもりはまったくありません。正しい抗議活動をしていると思います。政府の幕引きの仕方、世の中の意見形成のされ方に疑問を感じて書いているものです。