2012-06-01

他人の気持ちを推し量れないという定義はおかしいのではないか


アスペルガー症候群の人達は他人の気持ちを推し量れないと簡単に定義して書いてあるのをよく見るけれど、違和感を感じませんか?

私の知っている人は皆情緒豊かで、泣くし、笑う。確かに、ちょっとした仕草や言動から気持ちが伝わりにくいことはあるかもしれないけれど、それは、そう診断されていない大多数の人には、たまたま暗黙に育てた共通の言葉があって、それを駆使しているからじゃないだろうか。聴覚障害の人には音声言語ではコミュニケーションしにくいように、アスペルガーの人には仕草や言動からは伝わりにくいだけじゃないだろうか。

実際、顔認識がうまくできないとか、脳レベルでわかってきていることがある。そうした子供の場合は、他の方法で相手を知る努力をするわけだけれど、その良い方法を教えてくれる人が回りにいなければ、その子はコミュニケーションが苦手な子として育つことになってしまう。そう、今のアスペルガー症候群の定義は、二次的な障害を言っているだけなんじゃないだろうか。

きっと、アスペルガーの人ならではのコミュニケーション方法があって、それを使いこなせれば、他人の気持ちを推し量れないとか、そんなことはないんじゃないかと思う。この先、アスペルガーの人であってもコミュニケーションしやすい方法がもっと普通に研究されて、広まっていくと期待する。それには、大多数のコミュニケーション方法に頼っている人達からの歩み寄りも必要になると思う。手話を覚えたり、筆談でコミュニケーションを取ろうとするように。

やっぱり、他人の気持ちを推し量れないという定義は正確でないと思う。

6 件のコメント:

中西靖治 さんのコメント...

家の二十歳の娘はアスペルガーだけど他人の気持ちを考えすぎて学校にいけなくなった時期もあります。小学校一年生の時はサンタさんに気をつかってプレゼントを用意したこともある優しい子です。アスペルガーの事をよくわかってないけど何とか決めつけたい人の意見が世間一般の意見であるかのように語られると誤解が生じます。そうならないようもっと声をあげていきたいと思います。

てん さんのコメント...

優しいなぁ。子供って、みんな、そういう優しさを持っていますよね。私が接してきたどの子も、どんな障害を持っていても関係無く優しかったし、取っ組み合いになって、私を殴ろうとした中学生の男の子も、やっぱり優しかったです。
誤解されるといけないのでもう少し書くと、もちろん、意地悪だったり、ずるかったり、そういう一面もちゃんと子供らしく持っていました。子供っていいなぁ。

wakorie さんのコメント...

飯塚さんこんにちは!以前の投稿でしたが非常に思い出、興味深い記事だったので、勇気を持って、他の方のブログに初コメントさせていただきます(笑)

私の実家近くには養護学校の大きな施設があり、よく住宅街のバス停から同じバスに乗っていました。

ある子は大きなバックが大好きで、小さい体で5個も6個も両肩からいつもぶら下げて歩いていたり、スイッチをひたすら眺めているのが好きな子、踊るのが好きな子、など色々な子がいました・・・。

とある日、バスの車内で一人の子が大きなバックを力強く遠くの床をめがけて投げつけてしまい、自分の感情のコントロールがきかなくなり、窓ガラスを叩いたり大声を上げて騒ぎ始めました。皆さてどうしようか、と思った次の瞬間、別の子が「◎◎ちゃん!そんなことしちゃだめでしょう!自分できちんと拾いなさい!」とビシッと注意をし、自分たちの中だけでちゃんと事をおさめていました。

他の子は、バスを待っていると「動物がお好きですか?お花がお好きですか?」とポケット図鑑を出して選ばせてくれて、解説しながら見せてくれたり可愛らしくおもてなししてくれました(笑)しかも親切に「◎◎行き(を待っているの)ですか?それなら何時何分に来ます。」バスが来ると、「◎◎行き来ました(^^)」と毎回優しくみんなに振舞っていました。

じゃぁ、彼らよりも言語・学習の理解力がある健常者たちが皆、そんな風にふるまえるでしょうか?感情が激しいと言ってしまえばそれまでですが、とても素直で豊かなんですよね。

彼らは本当に私たちよりもよっぽど心の感度計が純粋そのままだから感じやすくてふれやすいだけ。分かっていればそんなことよりも、私たちが忘れかけている「素直な心で生きることの大切さ」を教えてくれる、素晴らしい先生たちだと今でも思っています。

慣れていなくって、というかいつもの悪い癖でまとめるのがへたっぴですみません(^^;)素敵な日曜日を♪

てん さんのコメント...

若生さん、初コメントありがとうございます。とっても嬉しいです。
書いていただいた事、とても良く分かります。そうした子たちが先生だったりすること、たくさんあると私も思います。

バスでの話、コメントをいただいた頃に、友達とみんなで補うことの大切さを飲みながらですが話していたところだったんですよ。ですので、ちょっとびっくりしました。これぞシンクロニシティですね。

それと・・・
素敵なのは笑顔だけじゃないと思いませんか。怒った顔も、何か悪いことを企んでいるときの顔も、嘘をついている時の顔も、泣いている時の顔も、私は大好きです。あー、みんな同じ人間なんだと感じるんです。勉強のできる人も、養護学校で先生を困らせてる子どもも、基本的にはみんな同じなんだと思うんですよ。

そのバス停に行ってみたいです。(^_^)


どこから見ても富士は富士~♪

匿名 さんのコメント...

度々こんにちは!ちょうどその頃お話されていたとは!通じちゃいましたね(笑)まさに笑顔だけでなく、私たちのように本音と建前がない分、本当に表現が純粋で素直なんですよね。実は実家の話だけじゃなく、役者をやっている友人の演技を見て、その後どういう気持ちで演じたのかを一緒に話をしていて、考えさせられたんです。

友人は障害者の方の役をやらせていただくにあたり、養護学校に電話をして「しばらくの間ボランティアさせてもらい、子供たちの生活をみさせてほしい」と頼んだそうです。最初は嫌がっていた先生でしたが「今までそういう子供を見たりするとどう接して言いか分からず、どこか逃げていました。でも、今は初めてどういう風に障害を持った方が生活をしたり、感じたりしているのかをぜひ知りたいんです。」と正直に打ち明けたところ「それならば」ということで伺うようになったそうです。

伺う度に、壁にある消火器の警報機の「音が出る部分の穴」を一日中ただず~っと見ているだけで落ち着いている子の机の上には、その「穴の写真」が貼ってあったり、何回も上を見上げている子をみて「◎◎ちゃんがこうして上を見ている時はこのあと、だいたい興奮しやすくなるから注意してみていましょう。」と対応されている先生の姿に「こんな小さな変化も見逃さないように注意されているんだな。」などと色々と経験したそうです。

一緒に過ごす日が多くなるに連れ「自分たちといったいどこが違うんだろう?というかそれよりも、独特の世界を持った素晴らしい絵を描いている子や才能や感覚を持っている子がいて、本当に感動させられたし、なによりも学ばせてもらった。この役が終わっても時間を作って定期的に彼らに会いに行こうと思っている。」と話していました。

私のように家の近くに養護学校があって、普段の生活の中で、先生を介しながら「共存する」機会がある人はなかなかいないと思います。なので知る機会がないまま大人になってしまうと、安易に「避ける」道を選びがちですが、少しでも正しい知識や情報で、本当の彼らのことを理解してもらって、一緒に気持ちよく共存できればいいな、と思いました(^^)また長文、ごめんなさい!

てん さんのコメント...

違うと思っていたら実は同じであることに気がつき、同じだと分かると、強みや弱みが見えてきて、友達になれる。ということなのかな。
ちなみに、オーム返しや体をゆすったり額を叩いたりする行動、やってみるといろいろ気付きがあります。少しだけ気持ちもわかるような気がします。その役者さんも、きっとそうだと思います。