2011-05-29

自身の問題としての情報リテラシーの問題


facebookの「ノート」の機能をあまり理解出来ていません。自分のblogを連携させてみたら、過去のまでどーんと入ってきて、少し焦っています。「友達のイベント」も、都合が付かず欠席と返答してもまた出てきます。出てくるのは構わないのだけれど、「飯塚はイベントに欠席します」のような返事が、大量に返されているじゃないかと不安になります。他者のfacebook のページをお気に入りに追加したり、それを見たりすることも良くわからず勉強中。

情報に関するリテラシーは、時代とともにどんどん進化しています。正直言えば、そろそろ私はついていけなくなりつつあるのだと自覚しています。「若い人の理解は早いよね」と感じるているのがその証拠でしょう。

「コンピューターに慣れ親しんでいる今の世代が高齢者に成る頃には、高齢者の情報リテラシーの問題はなくなっていますよ。www」と言う人がいるけれど、それは間違いだと思います。それどころか、そう思っているところに、情報リテラシーの問題が生まれる根本原因があるように思います。誰もが気が付いていることなんだとは思うけれども・・・

20年後、「あなたの食べ物の好物を登録します。脳波プローブを額にあてて、それらを思い浮かべてください。」とパソコン画面に表示されたとき、私はできないと思います。「検出不能」と反応されるか、女優さんばかり登録されてしまったりするような気がします。一方、その時の若い人は、ゲームか何かで基礎的なノウハウを得ていて、簡単に対応できるのです。そして私は、情報リテラシーが低い老人と言われるのです。

というようなイメージが持ててないと、情報リテラシーの問題には向かい合えないような気がします。


2011-05-08

「災害情報とアクセシビリティ」パネルディスカッションより


(タイトルが適切でなかったので変更しました。(2011.05.10)
先日、講座「災害情報とアクセシビリティ」の中でバネラーの一人を務めさせていただきました。各パネラーの話は私には参考になるもので、伝える意義もあったと思いますが、全体としてはストーリーが組た立てられておらず、納得できるものではなくかなり落ち込みました。せめて、伝えたかった事を簡単にまとめておきたいと思います。

バネラーの伊敷さん、平林さんと同意していたのは、伝える側の問題と、受け取る側の問題の二つに分けて話そうということでした。伝える側の問題というのは、アクセシビリティをどうやって確保するかという話、受ける側の問題というのは、情報リテラシーの問題についてです。モデレーターの森田氏は、よって必要となるこれからの仕組みをまとめたいと思われていたはずです。それは、新しいWebシステムの話だけでなく、情報リテラシーをどう向上させていくかというような事も含めた広範なものです。

前者の発信者については、もはやJISは最低限のこととして対応することを求めてみました。それが震災時にも出来るかどうかは普段のサイト作りによること。普段できていないところは震災のときも苦労するだろうという話を事例を挟みつつ話をしたつもりです。ただし、それだけでは駄目で、JISに縛られず、JISはツールとして利用するくらいのつもりでいる必要があるという思いも私にはあるのですが、これについてはあまり話せなかったように思います。(これをアンチJISと表現した方がいますが、私にそういうつもりはまったくありません。)

さて、アクセシビリティを守る事は当然とは言ってみたものの、震災時に発信者がそれを完全に確保することは、震災状況下故に難しいというのも事実です。二つのレベルがあって、代替テキストを付けたり、見出しをちゃんとつける等の余裕がないという低いレベルのものと、図やグラフィック、動画でないと情報提供しにくいものに対しての的確な代替情報を提供することは難しい、という高いレベルのものの二つがあります。

前者については、ボランティアの仕組みを紹介しました。一方で、利用者からしてみると、そういう問題のあるサイトは訪問せず、他のサイトに行くだけであるので、ボランティアは機能しないかもしれないという話をしたと思います。

後者については、htmlやcsvでデータを提供すれば良いという同意が得られつつあるが、それだけでは駄目で、それに加え、伝えたいことそのものを的確に伝える仕組みが必要だという話をしました。その例として、Web APIを提供する例について話をしました。計画停電であれば、今現在の余裕を知りたいかもしれません。APIの提供は重要で、被災地に関する様々なマップがすぐに作られたのも、こうしたAPIレベルでの提供があったからであることも話したかったのですが、これは出来ませんでした。(この話は長坂さんの話を受けてでないと的確に話ができない)

受信者側の情報リテラシーについては、平林さん、伊敷さんがお話くださいましたが、もう少したっぷりとしたかったところです。予定では、Twitterがとても役に立ったことと、一方でデマなど取捨選択する能力が受信者側に求められた事を事例を交えてもっと話し合う予定でした。ネタも沢山用意していたのでまったく残念でした。パネル等ではお持ち帰りできる話題が一つ二つないといけないわけですが、あまり提供できなかったのは残念です。

全体としては、今回、長坂氏の話を受けて議論を進める予定の部分が、パネルが先になってしまった都合上、出来なかったことが議論がふわふわとしたものになってしまった原因の一つかと思います。もう一つ、モデレーターとパネラーで、同意できていた部分と、同意できない部分があったのですが、それは仕方の無いこととして、むしろそれを生かした議論が出来なかったことは極めて残念でした。

パネルおよび長坂氏の講演は録画したもので見られるようです。興味のある方はぜひご覧下さい。特に長坂氏の話はとても貴重です。後半にありますので、ぜひ、ご覧ください。
この中では話されていませんが、私が印象的だったのは、長坂氏の「オープンな仕組みでボランティアの力を借りて被災地・者に関する様々な情報を収集・整理・発信する仕組みは素晴らしいし、それだけでも十分に意味はある。しかし、二次利用が出来ない場合があることに困っている。二次利用ができれば、それを使ってもっといろいろ出来るのに残念だ。自己満足に終わるおそれがある。」という指摘です。二次利用するためには、国際標準にそって作られた仕組みであり、二次利用が許されていることが必要とのことでした。アクセシビリティの活動にも言えるところがあるように思います。



2011-05-07

facebookはどうして使いにくいのか

2013年3月20日 追記
この記事は約2年前に書かれており、ここで書かれているような点は大いに改善されているようです。いま、改めて読む価値はあまりないかもしれません。
今、気になる点をいくつか書き出しておくとすれば、次のような点があります。
・追加されていく機能に追いつくことがとても大変である
・PC、スマートフォンで出来る事が異なる
・プライバシーやセキュリティーで配慮しなくてはならないことが多くなった
・過去の情報を活用することが難しい (依存している証拠でもあります)

2011年5月7日
facebookが使いにくいということを良く聞きます。自分もそう感じます。未だ分からない事も沢山あります。そこで、何故使いにくいのか、あるいは、何故使いにくいと感じるのかについて、まとめている人がいるかもしれないと思い探してみました。結果、核心を突いていると感じられる意見がいくつもありましたので、ここに簡単にまとめておこうと思います。本当に簡単なまとめなので、ぜひ、UIの研究者の人達によってちゃんとした研究が行われると面白いと思います。(特に日本人ならではの部分など)

1. ページ構造の一貫性に欠ける

「ソーシャルメディア普及10000人実践会 - facebookが使いにくい理由」のブログの中で動画で説明してくれています。多くの方に引用されていますから、これに同感の人が多いのでしょう。
例えば、ヘッダー部分は共通なのですが、サイドナビの内容は「ホーム」と「プロフィール」では異なります。確かに、慣れていない状況では難しさを感じさせる一因になっていると私も思います。ヘッダーナビにあるコンテンツ単位では、背景色を変えてしまうとか、むしろもう少し大きな変化があったほうが、混乱は避けられるかもしれませんね。

2. ×印などのコントロールパーツの提示の仕方、あるいは持たせている意味が分かりにくい

私もなかなか分かりませんでした。ウォー ルでは×印はマウスをもっていかないと表示されませんし、そもそも×印は即座に消してしまうようなイメージがあるので、押すことに躊躇してしまいます。(私だけか?) しかも、×印を押した時に出てくるメッセージはそれぞれ違いますし、どうも好きになれません。


3. 利用者がfacebookで出来ることを把握しきれていない

「初心者はfacebookが提供するプラットフォームでSNSとして何ができるか分かっていないので、UIもなかなか理解できない。」という説明です。一理ありそうですが、個人的には、何ができるか分かっても分かりづらいUIのような気はします。

facebook側自身も、まだまだ発展中なので仕方ないのでしょうが、新しい機能を、どういうストーリーで利用者に理解してもらっていくのかを提供する前には考えず、提供しつつ考えているような印象があります。
機能が豊富であることを理由にしている方もいらっしゃいました。


4. 言葉の問題

新しい言葉がいろいろと出てきています。ウォールだとか、ニュースフィードだとか、あるいはシェアなど、分かるようで実際のところなかなか理解できませんでした。これは「3. 利用者がfacebookで出来ることを把握しきれていない」とも密接に関連するわけですが、「ウォール? 壁? なんで壁やねん?」と今でも思ってしまいます。
もう少し、適切な和訳、あるいは説明があれば良かったのにと思います。そうした議論も、以前、どこかで読んだ記憶があります。(すみません、記事は見つけていません)


5. ガイド本が少なかった。あるいは、回りに経験者が少なく教えてくれる人がいなかった。

私も何がなんだか分からない状態が長かったのですが、たまたま妻が買ったガイド本を読んで、使ってみようかと思う程度には理解することができました。facebook自身が用意しているガイドは私には合わないようで、なかなか知りたいことを知ることは出来ませんでした。

使いにくさを感じさせる理由はまだまだありそうです。番外としては、「使えるようになるところに喜びがあるのだから、これで良い。」というのもありました。そういう側面は確かにありますが、Apple 製品で感じるそれとは大分開きがあるように思います。
また、実名・顔出しでの情報発信に慣れていない人にとっては、使いにくいという印象を与えてしまうという側面も検討されるべきかもしれません。
本当は、日本人だから"使いにくい"と感じる部分を見つけたかったのですが、そこまでは至りませんでした・・・

最後に、使いにくさの核心を説明するもの、あるいは使いこなすヒントとしては、次のブログが参考になりましたのでご紹介しておきたいと思います。