2012-06-01

他人の気持ちを推し量れないという定義はおかしいのではないか


アスペルガー症候群の人達は他人の気持ちを推し量れないと簡単に定義して書いてあるのをよく見るけれど、違和感を感じませんか?

私の知っている人は皆情緒豊かで、泣くし、笑う。確かに、ちょっとした仕草や言動から気持ちが伝わりにくいことはあるかもしれないけれど、それは、そう診断されていない大多数の人には、たまたま暗黙に育てた共通の言葉があって、それを駆使しているからじゃないだろうか。聴覚障害の人には音声言語ではコミュニケーションしにくいように、アスペルガーの人には仕草や言動からは伝わりにくいだけじゃないだろうか。

実際、顔認識がうまくできないとか、脳レベルでわかってきていることがある。そうした子供の場合は、他の方法で相手を知る努力をするわけだけれど、その良い方法を教えてくれる人が回りにいなければ、その子はコミュニケーションが苦手な子として育つことになってしまう。そう、今のアスペルガー症候群の定義は、二次的な障害を言っているだけなんじゃないだろうか。

きっと、アスペルガーの人ならではのコミュニケーション方法があって、それを使いこなせれば、他人の気持ちを推し量れないとか、そんなことはないんじゃないかと思う。この先、アスペルガーの人であってもコミュニケーションしやすい方法がもっと普通に研究されて、広まっていくと期待する。それには、大多数のコミュニケーション方法に頼っている人達からの歩み寄りも必要になると思う。手話を覚えたり、筆談でコミュニケーションを取ろうとするように。

やっぱり、他人の気持ちを推し量れないという定義は正確でないと思う。